私の半生を語るーMIRRORBALL

こんにちは、MIRRORBALL(ミラーボール)です。

まずは、わたしのブログにきてくれて、本当にありがとうございます。

 

少し長くなりますが、わたしの半生をお話しさせてください。

 

 

うつ病の母に殺されかける小学生のわたし

MIRRORBALL 199〇年 関東の田舎で生まれる。

父は公務員、母は専業主婦

3歳までは両親と3人暮らし、わたしが3歳の時に父の実家に越してきてそれからは

田舎で両親・父方の祖父母・叔父(父は3兄弟の長男で、三男)と6人で暮らしていた。

 

わたしが小学校に上がるくらいの時、母は躁うつ病になった。宗教を信仰するようになった。

夫婦+娘の比較的自由の利く暮らしから、突然旦那の家に入ることになった母は、あまりその生活になじめなかったのであろう。炊事、洗濯、掃除などが苦手で、家族にうまく気に入ってもらうことができなかった母は孤独だった。

独身時代自由にできていた買い物にも行くことができず、相当ストレスがたまっていたに違いない。

まだそんなことを理解できなかったわたしは、母が家事をしなかったり、祖母に買ってもらったお菓子を母が食べてしまったりすることの印象が強く、母を「敵」だと思い込んでいた。父は仕事で家を空け、叔父や祖母は特に母を嫌うようになり、わたしに母の悪口を漏らすようになったことで、母VSほかの家族 というような構図が加速した。

それでもわたしは正直言えば、そんなには母のことが嫌いではなかった。小学生の娘に、「勝負パンツってどんなパンツ?」と聞かれ、「パンツで勝負するんじゃなくて、パンツを脱いで勝負すんのよ」と言うような母だ。ユーモアもあって、買い物好きの面白い女だった。ほかの家族が来ない部屋でこっそり母と仲良くするのは楽しかった。

 

けれども、それ以上におばあちゃん子で、叔父のことも大好きだったわたしは、「おまえの母さんの言うことは聞くんじゃないよ」「仲良くするんじゃないよ」と言われると、母と仲良くするのをやめた。もともと子どもに執着する性格でなかった母だが、相当悲しかっただろう。うつ病がひどくなっていったのはそのころからだ。

言い争いをしてわたしが反抗すると、ダイニングテーブル越しに包丁を突き付けられた。「一緒に死のう」としわがれた声で言われ、首を絞めて持ち上げられた(こんなシーン漫画でしか見たことない)。目の色を変えてわたしに庭の小石を投げつけてきた。

わたしも反撃した。凍ったペットボトルで頭を殴ったりもした。今思うと、もうこれはどちらが正しい、どちらが悪いの話ではない。母は心のコントロールができていなかった。わたしは、殺されずに生きようと必死だった。母と同じ部屋に寝ていて、「おまえが眠っている間に殺してやる。」と言われたときは、翌朝目が覚めて、「あ、今日も生きてる。ラッキーだなあ」と思った。同じ部屋に、発狂して自分を殺すかもしれない人間がいる。でも、幼いわたしは、そこ以外に行く場所がない。

わたしはなぜこんな家に生まれてきたのか、と何度も何度も思った。給食の時間に、家族の話をする友達。「お母さんにいつも服を選んでもらうの」などと言っているのを聞くと、「わたしはそんなことしてもらえない。愛されていない」と感じた。教室で授業を受けているときに涙が止まらないこともしばしばあった。うつの母に愛されていることは、そのころのわたしには実感できなかった。

母のことは恥ずかしくて、母がうつ病だと親友に話したのは高校生になってからだ。

男好きのきっかけはサッカー部

反して父は、町内の育成会などのイベントに出ていたり、わたしが小学3年の時から入ったサッカー部で審判をしたりしていたので、町内、学校では有名だった。PTA会長なども務めたりしていた。

わたしは、「運動ができるようになりたい」「体力をつけたい」と思い、小学3年生の時に小学校のサッカー部に入った。

わたしが男好きになったきっかけは、サッカー部で男の子に囲まれている状況が心地よかったことがあると思う。女子はわたし1人、男子は20人ほどいるチームで、いつも男子と話せることが好きだった。男の子が多い部活では、半裸を見られる機会なども多く、小学生ながらわたしはそれがうれしかった。男子特有の男臭さも、嫌いではなかった。

中学時代は暴れていたわたし

中学校に入ったわたしは、水泳部に入った。小学校時代の土日しかないサッカー部と違って、毎日部活をしてから帰るようになったので、母とは殴り合うことは少なくなった、

小学校時代に、「自分は女の子だけで群れているよりも、男の子と一緒にいるほうが楽しい」ということを知ったわたしは、さらに「多くの人にちやほやされたい」という感情を持つようになった。しかし、そのころから太っていたわたしは、好きな男の子ができて告白してもうまくいかなかった。

そのころは、親に隠れてビールを飲んだり(18歳未満の飲酒は法律で禁止されています。マネしないでね)、水泳部で顧問の先生と喧嘩して部室の更衣室のドアをぶっ壊したり、友達との喧嘩は殴り合い、教室のガラスは割るなど、かなりの問題児だった。

自分を認めてもらえるものに出会う

中学時代も半ばに差し掛かったころ、ノートパソコンが家にやってきた。ノートパソコンは家のリビングで使えるので(デスクトップは両親と同室の寝室にしかなく、自由には使えなかった)、夜な夜な1人でいじっていたところ、面白そうなものを見つけた。

YAHOO!知恵袋」だ。

皆さんご存知のヤフーのこのサービス。今はそうでもないかもしれないが、わたしが中学生の頃はかなり流行っていた。リアルの人にはなかなか話せないようなことも、ここでは相談できる。母に暴力を受けていたわたしは、「恋愛・人間関係の悩み」カテゴリに入り浸った。そこには、私と同じような経験をしている人も大勢いた。